スペシャリティコーヒーの可能性についての考察 〜ルワンダ ムホンド・ウォッシング・ステーションを訪ねて〜

サードウェーブとスペシャリティコーヒー

コーヒーはとても身近な飲み物でありながら、コーヒー豆がどのように作られているか、そしてそれがどのように日本に運ばれて一杯のコーヒーになっていくか、実はあまり知られていないのではないでしょうか。最近は、サードウェーブと呼ばれるコーヒームーブメントが広がりつつあります。ファーストウェーブが、インスタントコーヒーや缶コーヒーの発明によりコーヒーが身近なものになった現象を指し、セカンドウェーブはスターバックスタリーズの登場によって広まったエスプレッソ系コーヒーなどのコーヒーの楽しみ方の多様化を指します。そして、サードウェーブは豆をブレンドせずに単一品種として、一杯一杯手作りで淹れるというように、よりコーヒーのポテンシャルを引き出し、嗜好品として楽しもうという現象を指します。サードウェーブの動きの中で、コーヒーは単なるコモディティ(日用品としてその品質や個性などの差異が意識されないもの)であることを止め、ワインと同じように嗜好品になりつつあります。

サードウェーブによりコーヒー豆の個性(焙煎前の生豆そのものの品質や風味)が注目されるようになると、コーヒーは果実であり農作物である事がより強く意識されるようになりました。セカンドウェーブまでは各産地の豆がブレンドされることも多く、コーヒー豆の産地、品種、生育方法、精製方法などはあまり意識されてきませんでした。しかし、豆の個性を追い求める上で、コーヒーの農作物としての側面に注目する必要性がある事が理解されていきました。適切な土地で、適切な品種を、適切な栽培方法で育て、適切に精製することで、コーヒー豆はコモディティ商品からスペシャリティコーヒーに化けることができるようになります。

サードウェーブの動きの中で、コーヒーが作られる過程を知れば、その味わい方も変わるかもしれません。そしてもう一つ強調しなければならない点として、コーヒーは多くの人々に愛される飲料というだけでなく、途上国で生産されて先進国で消費される関係から生まれる南北問題を如実に示すものでもあるということです。今回、ルワンダのコーヒー生産の現場を見ることで、コーヒーの持つ可能性と、問題点について考えてみました。

 

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コーヒー豆はNY先物市場で値段が決まる

ルワンダは、コーヒー豆の生産にとても適した土地にあります。良いコーヒーが育つには、寒暖の差が激しく適度に雨量のある土地であることが条件になります。そのため、ほとんどのコーヒー豆は赤道直下の国の標高の高い場所で育てられています。ルワンダはコーヒーの生産にとても適した土地でありながら、国際的にはほとんど認知されていませんでした。それは、コーヒーを生産している農家のほとんどは家族経営の小規模農家であり、生産量が少ないことと、ブランド化がされていないことが主な理由です。一方で、ルワンダの多くの人がコーヒー生産で生計を立てており、農家の生計向上、貧困削減という観点からも、コーヒーの価値向上は重要な問題となっています。

先ほど、コーヒーはコモディティであると言いましたが、コーヒー豆の価格は石油と同じようにニューヨーク先物市場で決定されています。農家により生産されたコーヒーは農協などを通じて先進国のバイヤーに買われていきます。残念ながら、ルワンダ国内ではコーヒーはほとんど消費されていません。バイヤーは、その購買力を背景に、ニューヨーク先物市場の価格に合わせて購入価格を決定します。第一の問題として、ニューヨーク先物市場の価格が低いということが挙げられます。これは、ブラジルのような広大な土地を使った大量生産を行う国から出荷される豆の生産コストと収穫量が、世界全体のコーヒー豆の価格を決定するという構造上の問題から生じています。ルワンダのように、山間部で小規模農家によって生産される豆の生産コストはブラジルに比べて高くなってしまうため、利益を出すことが難しくなります。しかも、生産量が少ないため、価格形成に影響を及ぼすことができません。これが第二の問題で、価格決定権が農家に無いという問題が挙げられます。

一杯のコーヒーの味を決定する要素は、豆の品質及び管理が7割、焙煎が2割、抽出が1割と言われています。しかし、実際には先進国に輸出され焙煎される過程で、コーヒーの価格は何十倍にもなっています。つまり、コーヒーの味を決定する豆の品質に適切な価値が置かれていないということになります。こうしたコモディティ商品の問題を解決するには、品質向上によるブランド化が必要になります。

 

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品質向上とブランド化の重要性

 スペシャリティコーヒーの取り組み

こうしたブランド化の取り組みの一つに、スペシャルティコーヒーという差別化が挙げられます。スペシャルティコーヒーというのは、当たり前ですが"スペシャル"なコーヒーのことです。添付の図表を見ていただくと、スペシャルティコーヒーというのはコーヒーの中でも最高品質のものであることがわかると思います。

日本でスペシャルティコーヒーの取り組みが始まったのは比較的最近ですが、それ以前から良質のコーヒー豆を輸入し消費する文化がありました。「ブルーマウンテン」、「キリマンジャロ」、「ブラジル」、「モカ」といった名前はコーヒーのブランドとして認知されていると思います。しかし、それらは同じブランドでも意味合いが異なります。「ブルーマウンテン」と「キリマンジャロ」はそれぞれジャマイカタンザニアにある山の名前です。「ブラジル」は国の名前です。「モカ」はイエメンにある港の名前です。これはお米に例えてみると、「ブルーマウンテン」と「キリマンジャロ」は産地の名前なので、「秋田県産」とか「新潟県産」という意味合いになります。「ブラジル」は国の名前なので、「国産」というような意味合いになります。こうしてみると、コーヒーのブランドというのはけっこうアバウトなものだとわかります。コーヒー豆を出荷する国や産地は独自で豆の等級をランク付けしています。「ブルーマウンテン」であれば、豆のサイズによってさらにNo.1〜No.3に分けられます。「ブラジル」であれば、豆のサイズ、欠点豆の少なさ、専門官によるテイスティングで分けられています。一方で、「モカ」は統一された基準がなく、複数の等級が存在します。つまり、「ブルーマウンテンNo.1」とあれば、ブルーマウンテンの最高級品であることを示しています。お米で言えば、「新潟県コシヒカリ一等米特A」ということになります。

では、スペシャルティコーヒーとは「ブルーマウンテンNo.1」のことかといえば、そうではありません。「ブルーマウンテンNo.1」は、図表でいえば「プレミアムコーヒー」のトップレベルのコーヒー豆のことです。スペシャルティコーヒーとは、その上をいく品質の豆を指します。お米で例えると、新潟県南魚沼で素晴らしい栽培技術を持つAさんが特別に水はけの良い区画で栽培したお米、ということになります。ブルーマウンテンというエリアはコーヒー栽培に適していますが、その中でも場所によって陽当たりや気温差があり、それが品質に影響を及ぼします。このように、気候、土地、技術、そして生産者の品質に対する熱意とが合わさってスペシャルティコーヒーが生み出されます。通常こうしたスペシャルティコーヒーはオークションで落札され、一般に流通することはありません。そして当然ながら価格も高くなり、生産者の収入も増えます。

 

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辻村英之,2009,『おいしいコーヒーの経済論』,太田出版より抜粋

 フェアトレードの問題点

コーヒーのブランド化の取り組みとしては、スペシャルティコーヒー以外にもフェアトレードという考え方があります。これは、生産者に対して適正な価格を支払いコーヒー豆を購入することで生計向上を果たそうとする取り組みです。スペシャルティコーヒーがその品質に訴えかけるのと違い、フェアトレードは人々の倫理に訴えます。先進国が途上国を搾取しているために、途上国の生産者は苦しんでいる。それは倫理的におかしいという考え方です。フェアトレードには、確かに生産者の所得を増やす効果がありますが、倫理に訴えるという方法に対しては疑問を感じています。援助にしてもそうですが、人々の倫理に訴えることには限界があるように思います。それは、人はやはり自己利益を追求するものですし、少しでも美味しくて安いコーヒーを求めると思うからです。ここにフェアトレードを広めていく上での限界があるのではないでしょうか。それよりも、生産者と消費者双方の理解を高めて、コーヒー業界全体のクオリティを向上させていくというスペシャルティコーヒーの取り組みの方が持続性とインパクトを持っているのではないかと感じています。

 カップ・オブ・エクセレンス

ルワンダでもスペシャルティコーヒーのための取り組みが行われています。その一つが、カップ・オブ・エクセレンスというコンテストの開催です。このコンテストは国連のプロジェクトから始まったもので、最初はブラジルで開催され、その後各国へ広がっていきました。コンテストでは世界中から集まったカッパーと呼ばれるコーヒーの知識を持った人々がブラインドテストにより点数を付けていきます。高得点を付けたコーヒー豆はスペシャルティコーヒーとして認知され、その生産者もバイヤーから注目されるようになります。それにより、そのコーヒー豆は、コモディティではなくブランドとして扱われるようになり、生産者が価格決定権及び交渉力を持つことができるようになります。

今回のルワンダ旅行では、ムホンド・コーヒー のウォッシングステーション(コーヒー豆の洗浄、発酵、乾燥を行い生豆にする場所)と農園を見学させてもらいました。ムホンド・コーヒー は2014年のカップ・オブ・エクセレンス91点を獲得し、第1位になりました。また2015年にも 89.89点を獲得し第3位になっている、素晴らしいステーションです。そこで農家に対する技術指導やブランド向上を担当するウェラーズさんとお話をさせてもらいました。ウェラーズさんは、農家自身がコーヒー豆の品質について理解していないことが問題だと言っていました。

実際、ルワンダでは紅茶が主流でコーヒーは国内ではほとんど消費されていません。きちんとしたコーヒーを飲んだことのない農家も多いのです。それでは、どうすれば美味しいコーヒー豆ができるのかわからないはずです。ウェラーズさんは、どのように栽培すれば品質の良いコーヒー豆ができるのかについて農家に対して技術指導を行いながら品質向上に努めています。

 

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生産者と消費者の正のサイクル

コーヒーにしてもチョコレートにしても、その原材料を生産する地と消費する地が大きく離れていることには問題があると言えます。農家は自分たちが消費しないため、何が高品質なコーヒーかわかりません。一方の消費者も、コーヒー豆がどのように作られるのか、どのように流通するのかを理解していないため、「ブルーマウンテン」や「キリマンジャロ」といったブランド名に頼ることになります。ブランドばかりが前面に出ると、その背後にある品質が疎かにされる場合があります。

例えば、「ブルーマウンテン」はもともと品質の良い豆で有名で、かつてはそこで生産される9割の豆を日本が輸入していました。1988年には、ハリケーンがジャマイカを襲い多くのコーヒー農園が被害にあい、コーヒー豆の生産が激減するという事件がありました。それでもバブル期の日本からの高級豆の需要は多く、ジャマイカ政府はコーヒー豆の品質を下げて出荷量を確保しました。これはジャマイカ側だけの問題ではなく、「ブルーマウンテン」というブランドを好む日本の商社や消費者にも問題があったと言えるでしょう。そうした品質の低い「ブルーマウンテン」が日本で流通し、缶コーヒーでもブルーマウンテンを飲むことができました。そして多くの消費者はきっと、「ブルーマウンテンなんてこんなものか」、と思ったのではないでしょうか。

品質の良いものを生み出すには、技術と熱意を持った生産者が必要ですが、それと同時に、その品質を理解し適切に評価する消費者も必要とします。生産地と消費地が近ければ、そこには評価のフィードバックと品質の改善が行われやすいですが、地理的に遠く離れているため、コーヒーの場合はそうしたサイクルが行われにくい構造があります。コーヒーに対する意識が低いことで損をするのは、消費者自身なのです。消費者が美味しいコーヒーが何なのか知らなければ、売り手は品質よりもブランドや価格にばかりこだわるようになり、消費者は美味しいコーヒーを飲む機会を失います。スペシャルティコーヒーは、生産者と消費者を結びつける一つの取り組みでもあります。そして、コーヒーを適切に評価する消費者と、品質を理解する生産者を生み出し、そこに正のサイクルを生み出す取り組みでもあります。こうした観点から、近年はルワンダウガンダでも街中にカフェが増えてコーヒーを楽しむ消費者が増えていることに期待をしています。コーヒーを生産する国の国内で消費されるようになれば、生産者と消費者の間の正のサイクルを強化することができるからです。

ブランドというのは、人々に消費することの快感を与えるとともに、選択の手間を省かせてもくれます。しかし、そのブランドの神話が、その物が持つ奥深さや本質を理解することを妨げる場合もあります。そのような、ブランドに過度に依存した関係から生み出される生産者と消費者の関係はどちらにとっても幸せなものではなさそうです。スペシャルティコーヒーが、それもまた一つのブランドになり、スペシャルティコーヒーであれば高くて良いものだと短絡的に理解されてしまい、消費者の理解を妨げてしまう可能性もある諸刃の剣でもあることは肝に銘じておく必要があるでしょう。それでも、スペシャルティコーヒーの取り組みが、より良い生産者と消費者の関係を生み出し、コーヒーの世界が皆にとって幸せなものになることを願っています。